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#感性を信じて感動したら行動する

「正しいこと」をいう人は多いのに、世の中はそれほど正されません。正義の国でハリウッドが描く悪のヒーローは常に大人気です。正しさが魅力的であれば、きっと世界は美しく変わるのでしょう。どうすれば正しいことを楽しく伝えられるかを考えてみる必要がある…いや、これがそもそもダメなのでしょう。考えるから、つまらないのかも知れません。
規範的な「正しさ」に縛られてワクワク、ドキドキといった心の動きを軽視するようになっていないでしょうか?ワクワクのままに行動しようとして叱られ、心に従うことに憶病になったのかも知れません。そうだとしたらドキドキすることなんかできるはずもありません。「損得勘定」「評判」など心を縛る要因は他にもあるでしょう。癖付いた思考と行動を変えるのは容易ではありませんが、感性を信じて行動したいと思います。決めて行動したことに責任を取るのは自分ですし、世の中をつくっているのは自分達なのですから。
規範的な「正しさ」に縛られてワクワク、ドキドキといった心の動きを軽視するようになっていないでしょうか?ワクワクのままに行動しようとして叱られ、心に従うことに憶病になったのかも知れません。そうだとしたらドキドキすることなんかできるはずもありません。「損得勘定」「評判」など心を縛る要因は他にもあるでしょう。癖付いた思考と行動を変えるのは容易ではありませんが、感性を信じて行動したいと思います。決めて行動したことに責任を取るのは自分ですし、世の中をつくっているのは自分達なのですから。
#カタチがないものに心を込める

書き出してみてオカシサに気付きましたが、浮かんだ言葉がコレだったのでこのまま進めます。心には形がないので、込めるモノのカタチの有る無しは関係ないのですが、カタチがないモノで考えてみるならば、笑顔や声、手書き文字などもそれにあたるのではないでしょうか。
私はニコッと笑うのが苦手で笑顔の素敵な人に憧れます。若い頃に言葉の通じない外国を旅した時、悪意のないことをわかってもらいたくてやたらとニコニコして情けなかった記憶がありますが、それも楽しい思い出です。目的はともかく笑顔の効用はもっと活かしたいと思います。声も声色で言葉に意味以上の想いを添えることができます。文字もそうですね。手書きの文字にも同様の効果があると思うのですが「ごめんなさい」と書かれた文字がハッとするくらい美しかったら、私なんぞは…どんなことでも許せます。
むしろ、そんな許し方が大切な人との関係には良いかもしれません。
私はニコッと笑うのが苦手で笑顔の素敵な人に憧れます。若い頃に言葉の通じない外国を旅した時、悪意のないことをわかってもらいたくてやたらとニコニコして情けなかった記憶がありますが、それも楽しい思い出です。目的はともかく笑顔の効用はもっと活かしたいと思います。声も声色で言葉に意味以上の想いを添えることができます。文字もそうですね。手書きの文字にも同様の効果があると思うのですが「ごめんなさい」と書かれた文字がハッとするくらい美しかったら、私なんぞは…どんなことでも許せます。
むしろ、そんな許し方が大切な人との関係には良いかもしれません。
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#いくら稼いだかより何に使ったか

お金持ちに憧れる気持ちは誰にでもあると思います。では、お金でその人の値打ちまで決まるのでしょうか?「お金か愛か?」という古典的な問いもありますが、なぜそれらを比べるのでしょうか?子供が「将来はお金持ちになりたい」と言ったら大人は何と言ってあげたら良いでしょうか?
お金を得ることは素晴らしいことですが、いくら稼いだかより何に使ったかが大切だと思います。「凄いお金持ち」は凄いのかも知れませんが、その凄いお金を素晴らしいことに使ったならば、その人は「素晴らしい人」だと思います。尊敬すべきは、お金を素晴らしいことに使った人です。前述の子供には「お金持ちになって、そのお金で何をしたいの?」と問いながら、それを教えてあげたいと思います。お金持ちを成功者とみるのではなく、そのお金やお金を稼ぐ能力を活かして、世の中の様々な問題を解決する人こそが必要であり、尊敬されるべきでしょう。
お金を得ることは素晴らしいことですが、いくら稼いだかより何に使ったかが大切だと思います。「凄いお金持ち」は凄いのかも知れませんが、その凄いお金を素晴らしいことに使ったならば、その人は「素晴らしい人」だと思います。尊敬すべきは、お金を素晴らしいことに使った人です。前述の子供には「お金持ちになって、そのお金で何をしたいの?」と問いながら、それを教えてあげたいと思います。お金持ちを成功者とみるのではなく、そのお金やお金を稼ぐ能力を活かして、世の中の様々な問題を解決する人こそが必要であり、尊敬されるべきでしょう。
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#誰かの幸せは自分の幸せ

「和をもって貴しとなす」は聖徳太子による十七条憲法の最初の言葉としてあまりにも有名です。続く第二条で「篤く三宝(仏、法、僧)を敬へ」とするほど仏教に帰依した太子が血で血を洗う争いの時代を終わらせ、国を定めるべく制定された日本初の憲法は、今に至るまで日本人の価値観や精神の真ん中に息づいていると思います。仏教には「随喜」という言葉がありますが、誰かが善い行いをして徳を積んだならば、それを喜ぶというものです。心から喜べば、その人と同じ功徳を自分も積んだことになるとされています。これの反対が「嫉妬」で煩悩の一つです。
「慈悲(思いやり)」は心の灯明(ロウソクの灯)を誰かに分け与えるようなものなのだそうです。いくら分けても自分の灯は消えない。もし消えたとしても周りが明るければ困らないし、また分けてもらうこともできる。この例えはチベット僧から教えてもらいました。幸せな人の笑顔に囲まれていたら自分も幸せですよね。和顔施(わがんせ)と言って、やさしい微笑みをもって人に接することもお布施らしいです。(文・正木)
「慈悲(思いやり)」は心の灯明(ロウソクの灯)を誰かに分け与えるようなものなのだそうです。いくら分けても自分の灯は消えない。もし消えたとしても周りが明るければ困らないし、また分けてもらうこともできる。この例えはチベット僧から教えてもらいました。幸せな人の笑顔に囲まれていたら自分も幸せですよね。和顔施(わがんせ)と言って、やさしい微笑みをもって人に接することもお布施らしいです。(文・正木)
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#お金に換算する習慣を見直す

物事の価値を考える時にお金に換算する傾向がありますが、その習慣は見直した方が良いと思っています。思い出深い形見の品を、売却するつもりならばともかく、人気テレビ番組のように換算して意外と安くてがっかりすることには何の意味もありません。
労働の対価としての賃金は人によって違いますが、時給換算して比較したところで人の価値は測れないはずですが、この錯覚は格差社会における「不幸さ」の一因となっていると思います。仮に育児や家事を労働換算してみたら、かつての子育てしながら家事全般をこなした専業主婦はかなりの高給取りでないと成り立っていなかったということになるのではないでしょうか。
一時間当たりの労働成果を(時給換算せずに)等価交換する発想もあります。通貨の代わりとまではなりえませんが、誰もが平等にもつ時間を等価交換する発想は興味深いと思います。いずれにせよ価値は感じるもので、換算するものではないと思います。その方が幸せだからです。
労働の対価としての賃金は人によって違いますが、時給換算して比較したところで人の価値は測れないはずですが、この錯覚は格差社会における「不幸さ」の一因となっていると思います。仮に育児や家事を労働換算してみたら、かつての子育てしながら家事全般をこなした専業主婦はかなりの高給取りでないと成り立っていなかったということになるのではないでしょうか。
一時間当たりの労働成果を(時給換算せずに)等価交換する発想もあります。通貨の代わりとまではなりえませんが、誰もが平等にもつ時間を等価交換する発想は興味深いと思います。いずれにせよ価値は感じるもので、換算するものではないと思います。その方が幸せだからです。
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#時間に追われない
「#過去で未来を決めない」で時間(の流れ)に対する思い込みを考察しながら、「確実にあるのは今この瞬間だけ」と書きました。先に結論めきますが、時間に追われる感覚は、この瞬間を大切していないから、そこに集中しきれていないからだと思います。
「追うから追われるのだ」といった言い換えをする人もいます。昔は(今でも!?)そんな論法で説教をする上司がいたように思いますが、言い得たようでも分かりにくく何も解決しませんでした。そもそも「時間に追われる」というのは擬人化した時間なるものに責任を転嫁しているように感じ、行動が変わらないのだと思います。
擬人化の妙は日本のお家芸で、アニメやキャラクターは今や世界が評価する文化であり、森羅万象に魂が宿るような感覚は日本人の原初的感性として誇るべきと思いますが、悪いことは妖怪のせいとばかりは言えません。問題解決には、主体的な取り組みが必要です。
とは言っても「時間に追われない」ことは難題で、ZENIYA& LIFE の原稿の入稿は、いつも私が最後です。(文・正木)
「追うから追われるのだ」といった言い換えをする人もいます。昔は(今でも!?)そんな論法で説教をする上司がいたように思いますが、言い得たようでも分かりにくく何も解決しませんでした。そもそも「時間に追われる」というのは擬人化した時間なるものに責任を転嫁しているように感じ、行動が変わらないのだと思います。
擬人化の妙は日本のお家芸で、アニメやキャラクターは今や世界が評価する文化であり、森羅万象に魂が宿るような感覚は日本人の原初的感性として誇るべきと思いますが、悪いことは妖怪のせいとばかりは言えません。問題解決には、主体的な取り組みが必要です。
とは言っても「時間に追われない」ことは難題で、ZENIYA& LIFE の原稿の入稿は、いつも私が最後です。(文・正木)
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#共感できる人とつながる
月に1遍だけ開店するめがね屋『錢屋めがね』。めがね舎ストライク運営のもと、お気に入りの1本と出会っていただくための提案をしています。ご来店の理由は様々です。視力に不安がある方、似合うめがねとの出会いに期待する方、ファッションアイテムとして次なる1本を選ばれる方。私も約2年前にめがねを新調しましたが、自分では選ばないフレームの色(ピンク)を勧められ、数十分悩みました。しかし、「客観的に自分を捉える」が隠れテーマだったので、ここは流れに身を任せてお勧めされたとおりに作りました。
気付いていない自分がまだまだ存在する
勢いよく作ったものの、ピンクめがねを日常使いするまでにかかった日数は約3か月。いま思うと笑い話ですが、普段かけていたものに慣れすぎていたため、変化することに対して誰かになにか思われるのではないか、と過剰に考えていました。しかしピンクめがねをかけてみると、「普段のものより肌馴染みも良くていいよ」と声をかけて下さる方もいて、恥ずかしながら皆さんからの声で「日常使いのめがね」にすぐにランクアップしたのです。
そんな実体験も経て、いまでは「錢屋めがね」のことはもちろん「気付いていない自分と出会うこと」をホンキでお勧めします。少しでもワクワクの種が心の中にあればぜひ。
3月は自分の手でつくるワークショップも開催します。数十種類の中からフレームを選び、顔のサイズ・目の位置に合わせてサイズを決め、カラーを選び、糸鋸で実際に切削、そして研磨作業を行います。この一連の作業を約3時間30分で行うのですが、日頃味わうことのない体験に、気持ちが高ぶるかも。仕上げは職人さんが整えてくれますので、作業に不安がある方もご安心ください。
完成するのは5月後半。参加した人たちが一堂に会し、作っためがねを受け取り、披露し合います。皆さん我が子のように愛情が満ち溢れているはずです。同じ体験を行ったからこそ共通の話題ができ、#共感できる人とつながる 喜びが生まれます。
買い物以上の価値を創造するめがねづくりワークショップ、ぜひご参加ください。(文・中島)
気付いていない自分がまだまだ存在する
勢いよく作ったものの、ピンクめがねを日常使いするまでにかかった日数は約3か月。いま思うと笑い話ですが、普段かけていたものに慣れすぎていたため、変化することに対して誰かになにか思われるのではないか、と過剰に考えていました。しかしピンクめがねをかけてみると、「普段のものより肌馴染みも良くていいよ」と声をかけて下さる方もいて、恥ずかしながら皆さんからの声で「日常使いのめがね」にすぐにランクアップしたのです。
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完成するのは5月後半。参加した人たちが一堂に会し、作っためがねを受け取り、披露し合います。皆さん我が子のように愛情が満ち溢れているはずです。同じ体験を行ったからこそ共通の話題ができ、#共感できる人とつながる 喜びが生まれます。
買い物以上の価値を創造するめがねづくりワークショップ、ぜひご参加ください。(文・中島)
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#本当を知る

漬物は野菜などを食塩、麹などとともに漬け込み、乳酸発酵や酵母の作用によって腐敗を防ぐとともに、熟成させ風味を良くした日本の伝統的な保存食です。ところが、漬物として販売されている商品の多くが保存料や旨味調味料の入った調味液に漬けられている事にお気付きでしょうか?発酵食品ではない漬物もあることは事実で間違いでも不正でもないのですが、だからといって本来ならば発酵の力で保存性を高め、旨味までを引き出した先人の知恵の賜物が、いつの間にか別のモノに置き換わっているようで釈然としません。
昔のモノが何でも良いとは思いません。しかし、便利さや経済合理性にかまけて失った本来の良さについて知り、考えたいと思います。そもそもの意味や、変わった理由を知った上で納得して選ぶならばそれで良いのでしょうが、知る機会もなく店頭に並べて売られているモノから選ぶしかないならば、知るところから始めて選びなおしてはどうでしょうか。買い物ひとつとってみても、自分と自分の家族や周りを良くするための投票のようなものだと思います。
昔のモノが何でも良いとは思いません。しかし、便利さや経済合理性にかまけて失った本来の良さについて知り、考えたいと思います。そもそもの意味や、変わった理由を知った上で納得して選ぶならばそれで良いのでしょうが、知る機会もなく店頭に並べて売られているモノから選ぶしかないならば、知るところから始めて選びなおしてはどうでしょうか。買い物ひとつとってみても、自分と自分の家族や周りを良くするための投票のようなものだと思います。
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#ありそうでないモノ

ありそうでないモノがある人は幸せです。それが「ない」のは自分の基準、好みがあるせいでしょう。頭の中にはそれが「ある」ということになりますが、実際には「ない」のですから、探したり、人に話したり、作ったりできる楽しみがあるわけです。
世の中にはモノが溢れているのになぜそれがないのか?それは前号の「使うから始まる、作る」でも書きましたが、売れそうなモノばかりを作り、広告に刺激されて買うことに慣れているからだと思います。安くて便利で見た目も良い…が、どこにでもあるモノに囲まれる生活は不自由もなく満たされていそうですが、最小限の要るモノと好きなモノを大切にした方が豊かと言えるのではないでしょうか。欲しいモノは頭の中ならば溢れていても散らからず、ゴミも増えません。ありそうでないモノを考え出すことで未来を豊かにできるかも知れません。
世の中にはモノが溢れているのになぜそれがないのか?それは前号の「使うから始まる、作る」でも書きましたが、売れそうなモノばかりを作り、広告に刺激されて買うことに慣れているからだと思います。安くて便利で見た目も良い…が、どこにでもあるモノに囲まれる生活は不自由もなく満たされていそうですが、最小限の要るモノと好きなモノを大切にした方が豊かと言えるのではないでしょうか。欲しいモノは頭の中ならば溢れていても散らからず、ゴミも増えません。ありそうでないモノを考え出すことで未来を豊かにできるかも知れません。
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#完璧を求めない豊かさ

完璧を目指すことは本来ならば素晴らしいのですが、度が過ると不満や不安の原因になります。それでは心豊かとは言えません。子供や若者にとって未熟さは伸び代に他ならないので、足りない分は未来の可能性と言えます。大人の場合はそれが現実ならば受け入れることも人の器と言えるでしょう。
先人は「足るを知る」と言いましたが、出典の『老子』には「足るを知るものは富み、強めて行うものは志有り」とあります。満足することを知っている者は心豊かであり、そこからさらに努力する者にこそ志は宿る、という意味のようです。
私はこれをヒントに「有るものを活かすことは無いものを手に入れる努力に等しい」と考えるようになりました。眼前の課題に向き合うと必ず次の段階が見えてくるとも思います。不完全さや欠点を魅力に変えることができたなら、それは誰にも真似のできない魅力となるでしょう。不完全さを愛でるセンスを磨きたいと思います。(文・正木)
先人は「足るを知る」と言いましたが、出典の『老子』には「足るを知るものは富み、強めて行うものは志有り」とあります。満足することを知っている者は心豊かであり、そこからさらに努力する者にこそ志は宿る、という意味のようです。
私はこれをヒントに「有るものを活かすことは無いものを手に入れる努力に等しい」と考えるようになりました。眼前の課題に向き合うと必ず次の段階が見えてくるとも思います。不完全さや欠点を魅力に変えることができたなら、それは誰にも真似のできない魅力となるでしょう。不完全さを愛でるセンスを磨きたいと思います。(文・正木)
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#使うからはじまる、つくる

世に商品は溢れていますが、欲しいものがないと思ったことはありませんか?大量消費を前提としたモノづくりの姿勢が「売れそうなモノ」を作ろうとするせいでしょうか。マーケティングの成果なのかも知れませんが、広告に刺激され、売っているモノから選ぶことに慣れてしまった消費者は要るモノはわかっても欲しいモノはイメージが湧かないということになるでしょう。使う側に欲求が無いと、要るモノは作れても魅力的なモノづくりには繋がらないのではないかと邪推します。
明治後期に大阪で割烹料理が流行った頃には品書きはなく、食道楽は板前にその日の素材を聞きながら食べ方を相談して決めていました。掛け合いによって成立する大阪らしい文化です。方々を食べ歩いた客が他所で経験した味を伝え、腕自慢の板前が素材を活かしてより良い味をと、競ったのだと思います。魅力的なモノを作るには、作り手任せではなく使い手の立場でも欲しいモノを想像し、伝えることから始める必要がありそうです。
明治後期に大阪で割烹料理が流行った頃には品書きはなく、食道楽は板前にその日の素材を聞きながら食べ方を相談して決めていました。掛け合いによって成立する大阪らしい文化です。方々を食べ歩いた客が他所で経験した味を伝え、腕自慢の板前が素材を活かしてより良い味をと、競ったのだと思います。魅力的なモノを作るには、作り手任せではなく使い手の立場でも欲しいモノを想像し、伝えることから始める必要がありそうです。
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#過去で未来を決めない

時間は過去から現在、未来へと過ぎてゆきます。実感としては疑う余地はありませんが、過去の何かを根拠に未来を決めつけてしまうことがあります。ネガティブなことほど、その傾向があるようです。一方で未来は変えられるが、過去は変えられないと考える向きもあります。でも、最悪の思い出が、あれはあれで良かったと思えるようになることもあります。どちらも現在の自分がそうしているに過ぎません。
最新の物理学では時間の可逆性に理論上の矛盾はないそうですが、そもそも時間そのものが存在しないと考える説もあるようです。平家物語の冒頭の「祇園精舎の鐘の声 諸行無常の響きあり」を中学の教科書で素読した思い出がある方も多いと思いますが、諸行無常は「永久不変のものはこの世にない」という意味でした。その根拠を仏教では無常を分析してすべての事象は「刹那滅」という一瞬の間に生じて滅することの連続に過ぎないと考えて説明しています。
現象を心象がつくりだしているのかも知れません。確実にあるのは今この瞬間だけ。過去も未来も、今の私たちの心の投影に過ぎないと考えることができそうです。
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#大切にしてきたから良い、モノ

お陰様で創業111周年を迎える事ができました。建物は戦後のものとは言え築60年を迎えようとしています。改修の際に何を捨てるかを考えながら捨てずに残した古いものがありますが、骨董的価値のあるものはありません。
希少価値や有名作家の作であるとか、一般に通用する価値と違うのは承知していますが、私たちは「誰かに大切にされてきたものならば、それは良いもの」と考え、自分がそれを気に入って大切にするならば、その価値は自分が付けた価値だという発想です。
それが高価であったりすると「もったいなくて使えない」という方もいらっしゃいます。でもそれはもったいないことだと思うのです。正しい使い方を知ることや、正しく手入れをすることも含め、物を大切にすることは、自分を大切にすることにも通ずると思います。どう考えてもモノより自分の方が大切ですから。
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#専有より共有 分かち合える豊かさ

錢屋カフヱーをはじめとして錢屋本舗本館には古いレコードプレーヤーや真空管アンプ、大型のスピーカーがあります。中古店で状態の良いものを見つけると、前の所有者がどれほどそれを大切にしてきたのか、そこに込められた思いのようなものを感じることがあります。だからこそ、今こうしてこの状態でここにあるのだ…と、会った事もない前の所有者に対する感謝の気持ちすら湧いてきます。それは、自分もこれを大切にして次の誰かに残さないといけないという気持ちに繋がります。
買ってしまえば自分のモノです。でも、今までそれを大切にしてきた人や、自分が手放した後も大切にしてくれる人らと、時を越えて共有する大切なモノなのだという感覚でいたいと思います。専有することが豊かだという思い込みに縛られたくはありません。むしろ共有する豊かさも大切にしたい価値観です。
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