農業

《ゼニヤのキホン》 2024.6月号より

見たこともないものに気がつけるか?

新入社員が入社し1か月が経ちます。まだ殻を被っているように見えますが、芽吹きを楽しみに見守るつもりです。芽吹きに例えるのには理由があって、今年になって農業を始めたことはお伝えしたと思いますが、4月に田の開墾をし、苗床をつくって種おろしをしていました。私もこの農村では新人です。新人らしく張り切って、その翌週にまた訪れたのですが苗代の稲の発育を確かめることもせずに周辺の草刈りをしていたら、農業指導してくださる方に、その方の言葉をそのまま引用すると「ずっと見ていて、初めての割にはよくできているし、きっとあなたは仕事ができる人なんだろうけど、ここではその前に稲を心配する愛情をもって下さい」と言われました。稲は1日当たりの平均気温の累積で100℃に達した頃(平均気温が10℃の時期ならば10日目くらい)が出芽のタイミングと教わっていたので、1週間目ではまだ早いだろうと計算していたのです。その理屈が頭をよぎりましたが、私がここで学ぶべきことは「理屈なしに稲に愛情を注げ」ということですから、すぐに苗代の乾燥防止のために被せてあった草をはがして確かめました。私が社員に何かの注意をした時の、社員が言い訳をする気持ちが理解できましたが、やはり言い訳は意味をなさないとも思いなおしました。計算通り…なのですが、やはり出芽はしていませんでした。教えていただいて気づいたのですが、種籾の籾殻がいくつかありました。オケラが種籾を食べて殻だけを吐き出した痕跡だということでした。

さらに一週間経った頃に、出芽を期待して今度こそは真っ先に草をめくって見てみました。オケラが通った跡(そこに空洞ができて土が乾燥し白い筋のように見える)がいくつかあって稲とは違う雑草の小さな双葉は見て取れました。オケラにやられて全滅か、と焦りましたが、雑草の双葉を抜くために地面に顔を近づけたら、違う芽も出ていました。そもそも私は稲の芽を見たことがなく、尖った針のようだと聞いていたのを思い出し、よく見てみるとたくさんの芽が見えてきました。こう書くと、また理屈っぽくなりますが、一旦、それが稲の芽だとわかると見えるものが、脳がそれと認識するまではまるで何もないかのように見えてこなかったのです。やはり稲に向ける愛情の問題なのでしょう。目の前にあっても見えない(と錯覚する)こともあるのだと驚きました。

若い人の芽を摘まないように気をつける以前に、そもそも見たことがないかも知れないその芽に私や先輩社員は気がつくのだろうか?と考え直しました。喰われることなく残り、自ら殻を破って芽吹く芽に理屈なしに愛情をもって接し、自然に寄り添うように育つことを楽しみにしたいと思います。(文・正木)

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