《おおさか講座》 レポート(第2回)


錢屋塾おおさか講座とは
「錢屋塾 おおさか講座」は、大阪人が大阪の良さを再認識し、
自信と誇りをもって内外に大阪を語れるようになることを目指します。
歴史的にも文化的にも価値ある要素がたくさん埋もれている上町台地を中心に大阪全体を、
あたかも埋蔵資源を発掘するように掘り起こし、再発見、再確認しましょう。
元々あるものの価値に気づき、それを今とこれからに生かしていく提案をしてまいります。

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第2回 (2019.12.21)
“大大阪モダニズム”とアート
―大大阪時代を読み直すことで未来を展望する―
講師 大阪大学教授  橋爪 節也氏

戦前大阪の発展を象徴する「大大阪」。経済的自立性は周知のことですが、今回は日本美術史がご専門の橋爪節也先生にその文化的・精神的側面をお話いただきました。

大阪市の歴史は1889(明治22)年の市制施行に始まります。ただし東京市・京都市同様、市長は国が任命する知事の兼務で、市が国の直轄から独立し、市長選挙が行われたのは9年後。大大阪の誕生は、周辺44ヵ町村を市域に編入して面積・人口ともに首都をしのぐ巨大都市へと変貌した1925(大正14)年のことでした。

当時、第7代市長となる關一が御堂筋や地下鉄、市営住宅の整備などの都市計画を推進したのはつとに有名。一方で美術館建設、市立美術工芸学校開校、大阪市美術家協会の結成といった美術振興策も手がけていたといいます。こうした施策を支えたのは明確なビジョン。「大大阪」は単なる巨大な都市の呼称ではなく、「優れた都市機能を備えながらも、文化的かつ経済的に成熟した近代都市を実現してこそ名乗るにふさわしい」との理念があったゆえだと橋爪先生は解説します。

理想の街づくりには、編入された周辺農村部と船場など都心部の価値観の違う新旧市民の一致団結が不可欠でした。前述の理念が込められた「大大阪」は市民の心を奮わせ、統合のシンボルフレーズとなったそうです。

さて、それに呼応するかのように小出楢重や国枝金三ら大阪を拠点とした洋画家たちは、林立するモダン建築群を切り取って西洋のように演出した中之島界隈を描きだして都市美を表現。さらに、文芸面では近代化によって消えゆく浪花情緒や上方文化を記録して後世に伝えようとする運動が盛んになります。

行政と市民が手を携えた「大大阪構想」は順調でした。ところが、現状は文化資源や歴史的蓄積といったポテンシャルより、安易な大阪像ばかりがクローズアップされているではありませんか。

その理由について橋爪先生は、大阪出身の詩人・小野十三郎の言葉を引用し「外部がもてはやす大阪風や大阪的であることを必要以上に自慢したがる傾向にある」という大阪人気質に帰結させます。「がめつい」から「アニマル柄好き」まで、本来の大阪らしさとは何ら関係のない作られたイメージを大阪人自らが誇示しているというのです。サービス精神のなせる業かもしれませんが、まずは私たち自身が安直な大阪のイメージから脱却しなければならない。目からうろこの再発見は、会場全体がひととき反省ムードに包まれるほどでした。

小江戸や小京都として地方に模倣される東京・京都と肩を並べ、かつては各地に「○○の大阪」と称される街が数多くあったといいます。それほど羨望を集めた都市の個性を見直し、大大阪を目指した頃のような“大阪人のプライド”を取り戻すためには何ができるのか。次回以降も違った角度から探求していきます。

<受講者の声「今日知ったことを明日からどう活かす!?>
・無機質になりつつある街を時代を感じながら楽しみつつ歩ける気がする
・大阪都市計画が良質な文化・雰囲気を目指していたことをひろめて大阪の発展に一役かいたい
・大大阪時代に建築された建物に行き参考にしたい

大阪人が大阪の良さを再認識し、自信と誇りをもって内外に大阪を発信できるようになることを目指します。
一緒に考え、学び明日からに活かしましょう!

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