《錢屋カフヱー バータイム》 2021.4月号

大阪と竹鶴政孝

 以前、NHK朝の連続ドラマ小説でモデルとなっていた竹鶴政孝。ニッカウヰスキーの創業者であり、サントリー山崎蒸溜所を作るなど、日本におけるウイスキーの父です。彼は生まれは広島、晩年は北海道で過ごしましたが、もともと大阪に縁の深い人物です。

 竹鶴政孝は、大阪高等工業学校(現・大阪大学工学部)への進学を機に大阪に出てきます。卒業前に帝塚山にあった摂津酒造に入社、寿屋(現・サントリー)の委託を受けて赤玉ポートワインの製造に従事していました。

 大正7年、スコットランドへウイスキーを学びに留学します。帰阪してからは摂津酒造で日本初の国産ウイスキーを製造する予定でした。しかし、第一次世界大戦後の不況により計画は頓挫、摂津酒造を辞します。彼はスコットランド人の妻リタとともに帝塚山に住み、桃山中学(現・桃山学院高校)にて教鞭を取っています。

 松屋町にあった寿屋の社長、鳥井信治郎に請われて山崎蒸留所を作り、10年工場長を勤めます。退社後は北海道余市町でウイスキーを作り始めますが、そのとき作った会社の最初の株主総会は、淀屋橋の芝川ビルディングで行われました。国の登録有形文化財に登録された建物で、現在はニッカウヰスキーを多く取り扱うバーが入居しています。

 留学から帰国した際には、研修内容をまとめた『竹鶴ノート』を摂津酒造の上司である岩井喜一郎に渡しています。それをもとに岩井はマルスウイスキーを設立しており、竹鶴は直接・間接的にニッカ、サントリー、マルスと日本のウイスキーを生み出しています。

 今では世界に誇るジャパニーズウイスキー。竹鶴政孝が全ての始まりであり、そして大阪で育まれたという酒飲みには楽しいうんちく話でした。

芝川ビルディング
初代オーナー芝川又四郎は竹鶴が住んだ帝塚山の家の家主で、後にニッカウヰスキーの大株主となった。