《ゼニヤのキホン》 2022.1月号より
あったら良いもの… 町の映画館
月に2回、隔週の日曜日の18時から錢屋シネマと称して映画の上映会を行っていますが、ご存知でしたでしょうか? 場所は錢屋カフヱ―です。この町にあったら良いなと思うものをつくろうと考えて錢屋カフェヱーそのものができました。そこで提供するモノもサービスも「あったら良いな」が基準です。錢屋ギャラリーも、そこでのイベントも全て同様です。上方落語の発祥の地である「いくたまさん(生國魂神社)」の参道に寄席があったら良いなと考えて錢屋寄席を開催するのと同じ理由です。その考えの延長に「町の映画館」がありました。
今の上本町YUFURAの場所に以前は近鉄劇場がありました。そしてその前身は「上六近鉄会館」という映画館で、昭和60年までは地上階では洋画を上映する『上六映画劇場』、地階に邦画を上映する『上六地下劇場』がありました。私が初めて見た映画は人気の怪獣映画で兄に連れていかれました。兄は10歳で亡くなりましたから、おそらく兄が9歳、私は6歳だったろうと思います。良し悪しはともかく、今ならば幼い子供二人で映画館には行かせないでしょう。時代の違いを感じます。母には内緒…という約束で凄い色の炭酸飲料を初めて飲みました。映画が始まるまでは飲まないと決め、だんだんぬるくなり泡がなくなるのを気にしながら上映を待ちました。あの頃(昭和40〜50 年代)、映画は大人気で指定席制ではなかったので、ずいぶん前から並んで待ち、通路に座ることや立ち見もありました。小さかったので席に座ると見えないので立ったまま観ました。
映画そのものは忘れましたが、映画館での思い出は鮮明に残っています。今、80代の母は往年の名画を楽しんだようで、よく映画の話をしてくれました。ご存じない世代もあるかと思いますが、戦後の日本は昭和39年まで海外渡航が規制されていましたので、母が若かった頃は外国と言えば映画の中の世界だったのです。その憧れの強さは、(コロナ禍の特殊事情は除いて)海外旅行が当たり前でサブスクで映画を観る世代とは比べ物にならないと思います。
錢屋シネマとは
映画にまつわる思い出話が長くなりましたが、映画は知らない世界を見せてくれ、違う人生を感じさせてくれる素晴らしいエンターテイメントです。ロードショー系の映画はシネコンでご覧いただくとして、錢屋シネマでは、様々な社会課題を描いた上質なドキュメンタリー等を単館系の配給会社から提供を受けて上映しています。
同じ地球の同じ人間の、でも自分とは違う誰かの生きざまを、通り過ぎることもできるけれど、ちょっと立ち止まって知り、考え、自分の心がより豊かになるきっかけになればと思っています。(文・正木)