《ZENIYA’s ネイバーさん》中塚 健さん 2026.8月号より

共通の価値観で繋がる心の距離のご近所さん。見つめ直した価値観と共に、人と暮らしをご紹介します。


金曜日のマスター、向き合う一杯

元『ぐらんたす』店主
錢屋カフヱー
中塚 健さん

昭和から平成にかけて、大阪・靭公園近くにあった名店『ぐらんたす』のカウンターに立ち続けた中塚さんの言葉には、コーヒーの味わい以上に、人とお店との関係の変遷が感じられる。「かつて喫茶店は、仕事の合間にひと息つくための場所だった」と中塚さんは振り返る。当時は今よりも、一杯をゆっくり味わう余白が日常にあった。

しかし時代は移り、チェーン店や外資系カフェの台頭によって、コーヒー店の役割は大きく広がっていく。いまではカフェで仕事をする人の姿も珍しくなく、誰もが気軽に集い、それぞれの時間を過ごせる「場」として生活に深く根づいている。

インタビューを通して強く感じたのは、喫茶店とカフェは似て非なる文化だということだ。カフェが人の集う「場」であるのに対し、喫茶店では店主と客が一対一で向き合う。そこでは空間というよりも、時間と感覚を共有するような静かな対話がある。その関係は、客の好みに合わせてカクテルを仕立てるバーを連想させる。両者に共通しているのは店主が「マスター」と呼ばれることだ。

中塚さんは「美味しいコーヒーがあるのではなく、その人に合うコーヒーがある」と語る。会話から好みを探り、濃さや柔らかさを見極める。コーヒーが苦手な人にすら、その人が飲めそうなコーヒーを提案することもあるという。その一杯は、味覚だけで完結するものではなく、対話と納得の上に成り立っている。1975年創業の『ぐらんたす』は、当時の喫茶店の中でも際立った存在だっただろう。14席のカウンターを中心に、モーニングも出さず、コーヒーそのものに向き合う店だった。一人ひとりに合わせた一杯を提供し、その背景を言葉で支える。「仕事の途中で飲むコーヒーは美味しくない。気持ちが切り替わって初めて美味しくなる」。まるで私を説得するかのように何度も語られた言葉だ。心の余白にこそ、その香りは立ち上がる。しかし、このような対話と納得を含めて提供する文化を担う人は、静かに少なくなっている。

金曜日、中塚さんは錢屋カフヱーでコーヒーを淹れている。そこでは、かつての喫茶店の静かな対話が立ち現れる。異なる時代の時間が、一杯の中に重なり、日本のコーヒー文化の豊かさが香る。(文・正木)