UEMACHI & LIFE 2023.2月号

大澤 研一さん
大阪歴史博物館
館長

10年前と今とで、この町は何が良くなって何が悪くなったか。
そして10年後は?暮らす、働く、楽しむ、学ぶ、育てる、育つ、老いを迎える…。
この町を行き交うさまざまな人が、それぞれの思いで描く10年後の寄せ書きです。


現在につながる町の歴史
その意味や価値を体感してほしい

 上本町とは、本来「上」がついた「本町」です。
「下」の「本町」は現在の本町。

本町通と上町筋が、大阪歴史博物館のある大阪城の南西角(馬場町)で繋がる作られ方は偶然ではなく、豊臣の時代に都市計画的に考えられたと思われます。

まだ明確にはわかっていませんが、私は下の本町と上の本町はセットで、大阪城から西へは本町通を軸線に、南へは上町筋を軸線にしたのではないかと思っています。

 豊臣時代の資料にはすでに「上町」と出てきますから、比較的早い段階から上町台地を「上町」と呼んでいたことがわかります。

おそらく完成した大阪城を北の端に置いて、四天王寺に向かって上町台地を都市開発しようとしたのでしょう。

 ただ、道というものは、正確な手がかりがほとんどありません。

ですから、日頃から今ある道を見て、「元々どういう地形だろう?」「なぜそこが道に選ばれた?」といった思考を持っていただくと、自分の住んでいる町の足跡や歩みに対する関心が湧き、もっと身近になります。

私自身、「きっとそうだ。間違いない」と好きな町歩きをして体感しながら、町の歴史を味わっています。

 上町に限りませんが、大阪は人口も多く、いろいろな地域の個性があるゆえに、横断的に見られるものが少ないような気がします。

それぞれの地域でさまざまな活動をされて、いろいろなものを残しておられますが、全体を通しての情報が得られる仕組みがあまりない。
例えば上町のアーカイブ的なものを、しっかりと意識して作ると良いかもしれません。

 歴史とは、古いことを調べ、古い事実を知って「面白い」にとどまるのではなく、現在にどうつながっているかを解き明かしてこそ、初めて歴史に意味や価値が生まれてきます。

上町は、その特徴の見え方がまだ十分に形作られていない可能性がありますから、他の地域と異なる地域特性が今にどうつながっているのかを明確にして、それを認知してもらうようにすれば、上町独自の魅力がより伝えられるかもしれません。

 この界隈の歴史を知ってもらううえでの追い風としては、大阪万博がある2025年の3月までに難波宮を紹介する施設が大阪歴史博物館の東側に作られ、難波宮跡公園も整えられます。
大阪城や歴史博物館と共に、難波宮も多くの方にご覧いただき、より大阪を知ってもらいたいと思っています。
(取材・山田)