UEMACHI & LIFE 2023.1月号
竹村 伍郎さん
特定非営利活動法人 まち・すまいづくり 理事長
まち・すまいづくり一級建築士事務所 代表
大阪市社会福祉センター 指定管理総括責任者
10年前と今とで、この町は何が良くなって何が悪くなったか。
そして10年後は?暮らす、働く、楽しむ、学ぶ、育てる、育つ、老いを迎える…。
この町を行き交うさまざまな人が、それぞれの思いで描く10年後の寄せ書きです。
地名・町名は
大切な歴史の積み重なりを
理解するよすが
生まれから結婚するまで、本籍地は東高津南之町30番。
上六の交差点から東に一筋、北へ一筋の辺りです。
父の育った家は太平洋戦争の戦災で跡形も無くなり、他人の手に渡ってしまっています。
本籍地はそのままにしており、「東高津南之町」は声に出すとリズミカルで、子供でも覚えやすく諳んじていました。
結婚し、新戸籍を作る時には、その地は天王寺区上本町5丁目となっていました。
その新しい本籍地はいまだに覚えられません。
東高津南之町は東高津宮に由来します。
東高津宮は、元は千日前筋の南側にあり、昭和7年に近鉄上本町駅の拡張工事のため、現在の地にご遷座されました。
当時、15歳の父はその儀式に参加しており、ご神体を移したのは真夜中であったことなど、何度も聞かされました。
今は、その頃のことを知る人も亡くなり、東高津南之町の町名も無くなり、町の記憶がきえました。
結婚して最初のマンションは天王寺区東平野町でしたが、これも町名変更で上本町8 丁目に変わりました。京都の平野神社の社家等で作られた船場の平野町に対し、上町台地に古くから栄えた平野郷の町人たちが移り住んで出来た町名が東平野町です。ここに住んだのは7年間ほどでしたが上本町8丁目にはなじめませんでした。
上本町6丁目は上町筋の中心となる地で「上六」として親しまれています。
だからといって、上町筋に沿った町名が、行政の都合で、どこもかしこも上本町何丁目となるのは分かりやすいけれども、如何なものかと。
町名は時代、時代のその土地の諸事情により変遷するものです。
そして、それを振り返る事により、歴史的な積み重なりを理解するよすがとなるもの。それをブロックに分け、数字を割り当てる行政のご都合主義は納得できません。
そこに暮らす人たちの思い入れを無視した行為ではないでしょうか。
まだ、自宅にテレビのある家庭が少なかった昭和30年代、近鉄上本町駅に大きなテレビが設置されていました。
そこで大勢の人と見たテレビは得も言われぬ一体感をもたらしてくれました。
今、上本町に暮らす一体感は何なのでしょうか?