UEMACHI & LIFE 2022.11月号

原 健人さん
株式会社データコントロール
代表取締役

10年前と今とで、この町は何が良くなって何が悪くなったか。
そして10年後は?暮らす、働く、楽しむ、学ぶ、育てる、育つ、老いを迎える…。
この町を行き交うさまざまな人が、それぞれの思いで描く10年後の寄せ書きです。


留学で知った
自分の中のエネルギーは
今も私の原動力

 前号では、私の幼少期の石ヶ辻での思い出を中心にお話ししました。

その後、大学卒業後の1977年に、私はアメリカへ留学します。
留学は私にとって大冒険でした。

当時の私は英語が全く苦手で、留学など想像もできない状況。
しかし父が「まだまだ未熟だから」と留学をすすめてくれたのです。迷いに迷いましたが、ニュージャージー州プリンストン大学の英語学校に通うことになりました。

 ただ、言葉が全くわからない私は、目的地に着くまで四苦八苦。
飛行機が遅れ、わからないまま電車を乗り継ぎ、食事もできずに迷いに迷って寮にたどり着きました。

生活が始まっても、電話も、買い物も、銀行の口座開設にも苦労して、部屋の寒さにカーテンにくるまって寝るようなサバイバルな日々。

それを3ヶ月ほど続けてようやく落ち着いた頃に、自分が親や周りの人にいかに支えられて生きてきたかに気づきました。
そして感謝するとともに、「自分は何もできない人間なんだ」と感じ、すべての自信が崩れた結果、人として強くなり、おかげで勉強だけでなく貴重な経験がたくさんできました。

 留学で気づけたのは、「逆境は、人を育てる」ということです。あの時の「やってやろう!」という気持ちは今も私の原動力で、仕事にもつながっています。43年間弊社を続ける中で苦しい時期もありましたが、「絶対になんとかする!」という熱いエネルギーとなって、私を今まで支えてくれています。

 アメリカでは兄と一緒に光ファイバーの技術を生かした会社を作りました。

当時は珍しかったので地元の新聞社の取材を受けたところ、その記事がウォルト・ディズニーの目に止まり、ロサンゼルスのディズニーランドで使ってくれることに。
とはいえ、技術的・納期的な無理難題は山積みで散々苦労しましたが、この時も「なんとかできる」と乗り切れたように思います(笑)。

その後、東京ディズニーランド建設時にも採用され、千葉の工事現場で真夏に汗水をたらして設置したのは懐かしい思い出です。
アメリカでは多くの方とご縁があり、様々な挑戦ができて、父がくれた機会にとても感謝しています。

 日本に戻って兄とデータコントロールを開設後も、一緒に仕事をした社員はたくさんいますが、その人達がいてくれたから今があると考え、人とのつながりを大切にしています。

それはご先祖に対する考え方と同じで、私の生命には先祖を辿れば何千人と関わり、1人が欠けても自分は存在しないと、親や祖父母から教わってきたことが影響しています。

売上至上主義に走らず、良いサービスを展開して、その結果にご褒美をいただくということを、今後も徹底していきたいですね。
(取材・山田)