UEMACHI & LIFE 2021.11月号

中田 雅基さん
うえほんまちハイハイタウン
管理組合理事 
店舗等部会副部会長
株式会社 杯杯天山閣 代表取締役社長

10年前と今とで、この町は何が良くなって何が悪くなったか。
そして10年後は?暮らす、働く、楽しむ、学ぶ、育てる、育つ、老いを迎える…。
この町を行き交うさまざまな人が、それぞれの思いで描く10年後の寄せ書きです。


地元の交流・協力で
上本町の町おこし

私は、父の仕事が南紀白浜の観光ホテル「天山閣」でしたので、白浜で生まれて育ちました。
中学1年で大阪に来て、夕陽丘中学校に通いました。
31期生です。

うえほんまちハイハイタウンは、その頃(昭和55年)に完成しました。
父には「飲み屋が多いから遊ばないように」と言われましたが、迷路のようになっているのが楽しくて遊びましたね。

ハイハイタウンは交渉からビル完成までに約20年を要しました。
当時は第3セクターのようなものがなく、民意で100%一致しないとビルが建設できなかったため、想像を絶する大変さだったようです。

再開発事業に取り組んだ祖父の中田明正の銅像がハイハイタウンにありますが、像の下に名前がある方達から大変な協力があったとよく話していました。

ハイハイタウンは42年目。
電車のアクセスが良く、駅から地下でつながっていて雨にぬれない利便性から、店舗も住宅も人気です。

コロナ禍で飲食部門は苦しみましたが、ハイハイタウンとしては以前のようにお客様を迎えるために、全館の空調や給排気をリフレッシュしました。

また、地震に強いこともコンクリート調査で太鼓判をいただいています。

ただ、さすがに老朽化はしてきましたので、建て替えも視野に入れなければいけないと考えています。
実は当初ハイハイタウンを建てるときに、隣にもう一つビルを建て2階でつなぐという構想がありました。
近鉄百貨店さんにも2階でつながせてほしいとお願いに行ったそうですが、当時は話が進まなかったようです。

今、上本町の一番の課題は、地元企業を活かせていないことだと思います。
町を発展させようと思うと、地元企業の力はとても大きいです。

今後に向けて、町会、商店会、地元企業が集まるような意見交換会を年に2回ほど持てたらと思いますし、そういった交流や積み重ねが、次の町づくりにつながっていくと考えます。

2033年を目標に近鉄さんが上本町の開発に乗り出されるそうなので、ハイハイタウンとの次の連携には期待しています(笑)。