UEMACHI & LIFE 2023.4月号

藤田 富美恵 さん
童話作家
朝日カルチャーセンター童話通信講座講師
心斎橋大学童話・エッセイ講座講師

10年前と今とで、この町は何が良くなって何が悪くなったか。
そして10年後は?暮らす、働く、楽しむ、学ぶ、育てる、育つ、老いを迎える…。
この町を行き交うさまざまな人が、それぞれの思いで描く10年後の寄せ書きです。

上町台地一帯が
「おもしろいとこやなあ」
と思えるような作品を書き続けたい

東京オリンピックが開催された昭和三十九年、私は結婚と同時に、大阪南区(現在・中央区)の、戦前の木造家が多く残る路地の多い町空堀で暮らしはじめました。

東の上町台地辺りから、西の玩具問屋が軒を連ねる松屋町筋まで続く空堀商店街へは、近所の人が「お味噌汁のお鍋、火にかけてから、お豆腐買いに行っても間に合うよ」と自慢するほど近い距離です。
当時、買い物に出るのは昼前でしたが、この時間帯の商店街は、いつも買い物客で埋まるほど賑わっていました。

やがて商店街中程にある「沢井薬局」が、昭和十六年頃まで「澤井亭」という寄席であったことを知り、近所にお住まいで当時この寄席へ行ったことがあるお年寄りにお話を聞けたのは貴重な思い出です。

また冬の外出帰りの遅い時間、商店街西の入り口の松屋町筋から商店街に入ると、初めて見た人通りが全くない夜の商店街はゆるやかな坂道で、まるでゲレンデのよう。
当時はアーケードもなく、雪が降れば「スキーできるやん」とびっくりしました。

空堀に住んで十数年後。
三人目の末っ子が、地元出身の作家・直木三十五も通っていた、校区の桃園小学校に入学したのを機に、私は上町台地界隈を舞台に、童話やノンフィクションを書き始めました。
この頃から都市のドーナツ化現象で各学年とも一クラスか二クラス、商店街でも赤ちゃんや幼児に出会う機会は少なくなり、以前の活気が薄れたような気がしました。

ところが最近の商店街では、子ども連れのお母さんだけではなく、ベビーカーや抱っこ紐で赤ちゃんと一緒のお父さんもよく見かけます。

そんなとき、目が合った赤ちゃんにニコッと笑み返されたときは嬉しくて、私も笑顔で、「こんにちは」とつぶやいています。

今出会った赤ちゃんが大きくなったとき、上町台地一帯が「おもしろいとこやなあ」と思えるような作品を、これからも書き続けたいと思っています。