《ゼニヤのキホン》 2026.3月号より
劇場がある町【前編】交通と娯楽が交差する町
大阪・上本町は、住宅地と商業地が共存する町ですが、劇場や映画館と共に歩んできた地域でもあります。調べてみると、上本町の劇場文化の始まりは昭和初期にまで遡ります。1938年(昭和13年)、大軌(大阪電気軌道。現在の近畿日本鉄道)は「大軌小劇場」を開設しました。これは映画中心の比較的小規模な劇場だったようです。鉄道会社が沿線の価値向上を目的に映画館や劇場を設けることは、当時は全国的に見られ、上本町もその流れの中にありました。
戦後、この施設は映画館を主軸とする複合商業施設「上六近鉄会館」として再整備されました。1970年代の私の記憶では、この施設には「中国料理百楽」や「近鉄グリル」、パーラー等もありました。近鉄百貨店と合わせ、映画鑑賞と食事、買い物を組み合わせた外出先として、地域の人びとに親しまれていました。難波のような大規模歓楽街とは異なり、生活圏に近い場所で文化に触れられる点こそが、上本町の特徴だったと言えるでしょう。建物の前を通れば、今では見られない大きな手描きの映画看板が目に入り、それは町の日常に溶け込んだ風景でもありました。
幼い頃、兄に連れられて初めて映画を観たのも、この上六近鉄会館でした。兄は十歳で亡くなっていますから、あれは私が五、六歳の頃だったはずです。母なら許してくれなかった炭酸飲料を兄は買ってくれ、開演まで飲まないと決めて、手の中で瓶が少しずつ温まっていったことを、今も覚えています。こうした個人的な記憶が、「町の劇場」には自然と重なっていきます。
上本町の劇場は、1980年代に入ると大きな転換点を迎えます。1985年(昭和60年)、従来の映画館を改修し、「近鉄劇場」と「近鉄小劇場」が開館しました。これにより、上本町は本格的な舞台芸術を上演する劇場地区へと性格を変えていきます。当時のプロデューサーとは今も交流がありますが、近鉄劇場ではOSK日本歌劇団や劇団四季をはじめとした演劇やミュージカルの公演が行われました。一方、近鉄小劇場は小劇団や実験的な舞台にも使われ、表現の幅を広げる役割を担いました。これらの劇場は、大阪における中規模演劇の重要な受け皿の一つでした。
もっとも、常に順風満帆だったわけではありません。時代と共に人の流れはキタやミナミへと移り、映画館のシネコン化、劇場の大規模化が進みました。それでも注目すべきなのは、上本町が流行の最前線にあったわけではないにもかかわらず、劇場が長期間にわたって息づいてきた点です。近鉄劇場と近鉄小劇場は、大規模公演を行うキタやミナミの劇場群と、小規模で実験的な舞台群の橋渡し的な位置を担い、商業性と挑戦性の双方を受け止める場として機能していました。この中間的な役割こそが、上本町に多様な演劇文化を長く根づかせてきた要因だったと考えられます。
次号の「(後編)生活と劇場文化が交差する町」では、これらの劇場が町の空気や人びとの意識にどのような影響を与え、何を残し、どう繋いでいくのかを、もう少し踏み込んで考えてみたいと思います。(文・正木)

