《ゼニヤのキホン》 2026.1月号より
初穂に感謝し、餅を振る舞う
新嘗祭は戦後のGHQの政策で「勤労感謝の日」として祝日に変わりました。多くの人は勤労をねぎらう日として過ごし、収穫への感謝という神事としての意味は意識されません。その由来を知らなければ、日本料理店でさえ新米がすぐに口にされてしまうことがあります。昨年のように不作の年は仕方ないことかもしれませんが、新米は単なる初物以上の意味を持ちます。米は体を支えるだけでなく、日本人の暮らしや心にも深く関わる大切な主食です。
新米は秋の実りの喜びを象徴します。古代の私たちの祖先も、新米を得ることで厳しい冬を生き延びられると喜んだことでしょう。新嘗祭では天皇がその年の収穫に感謝し、初穂を神に供えます。古い考え方なのかもしれませんが、神に供える前に人が新米を口にすることは慎むべきとされました。伝統を尊ぶ心や農家・自然への感謝を忘れていないか、私たちは心の中で立ち止まって考える必要があります。
収穫を祝う祭りは世界にも多くあります。宗教的背景や祝い方が国によって異なりますが、その年の恵みに感謝し、家族や共同体で喜びを分かち合い、つながりを確認するという共通の姿があります。たとえばアメリカのサンクスギビングデーでは家族が集まり、収穫や互いの幸福を祝います。インドのポンガルでは米の収穫を祝い、家畜や農具にも感謝を捧げます。イギリスのハーベスト・フェスティバルでは収穫物を飾り、地域の恵みに祈ります。中国の中秋節は現代では月を愛でる行事ですが、古来より月は豊穣の象徴であり、月餅を分け合います。韓国の秋夕(チュソク)では新米で作った餅を先祖に供え、収穫への感謝を表します。
日本では、餅つきが人々を集めます。声をかけ合いながら蒸したてのもち米を搗き上げる光景には、みんなで場を作る心が自然に宿ります。その年を振り返り、感謝の気持ちや新年の準備の思いが臼の前の湯気と重なり、あたたかい気持ちになります。
鏡餅は静かに神を迎える飾りで、鏡は神の依代です。丸い形には円満や無事を願う気持ちが込められ、二つ重ねるのは福と徳が重なるため縁起がよいとされます。年が明けて鏡開きでいただくのは、神からの力を分けてもらうという考えが受け継がれているためです。
にぎやかな餅つきと、静かに据えられる鏡餅。この対照の中に、人と人とのつながりを大切にしながら、目に見えない存在にも敬意を払う日本人の暮らしが今も息づいていることを感じます。(文・正木)

