《ゼニヤのキホン》 2025.12号より
年の瀬をしめくくる
- 煤払いから紅白まで -
年末というよりも、「年の瀬」と言った方が、その時の気分にはふさわしいように思います。川の浅瀬が流れの速い場所であるように、時間が慌ただしく過ぎていく感覚があるからでしょう。意味は同じでも、由来の異なる言葉が多くあるのが日本語の豊かさです。「そもそもは何か」をたどることで、様々な日本のかたちが見えてきます。
日本の年の瀬は、単なる暦の終わりではなく、より良い「はじまり」を迎えるための「しめくくり」としての意味をもっています。流れの勢いにまかせて諸事万端を片づけ、新しい年を厳かに迎えようとする昂揚がそこにあります。
大掃除は本来「煤払い」と呼ばれ家の埃を払うとともに、心の曇りを祓い、神を迎えるための空間を整える行いでした。歳神を迎える門松やしめ縄は、神と人、聖と俗を隔てながらも繋ぐしるしです。門松は神が一時的に宿る依代として立てられ、しめ縄の「しめ」は「標め」と書かれ、聖なる境を示すという意味をもちます。時空(時間と場)の区切りとしての二重の意味が宿っているとも考えられます。日本人は、年の瀬に流れる時間の中にあえて節目を設け、「しめくくる」ことで、新たな時を迎える準備をしてきたとも言えるでしょう。最近は使われなくなりましたが「年始の吉書にご挨拶に」と言った「吉書」は大切な節目と言う意味です。
紅白歌合戦は、かつて「国民的行事」と呼ばれました。家族がこたつを囲み、紅白を見ながら年を越すことは、一年をしめくくる象徴的な時間でした。紅組と白組に分かれて競う形式は、平安末期の源平合戦に由来する古い型ですが、現代の紅白は男女こそ未だに敵味方に分かれますが、世代、国の違いを超えて、さまざまなアーティストが登場します。視聴者も、普段は聴かない楽曲であっても、世代を超えて音楽を楽しみながら年の終わりを迎えています。かつてのように国民全体をひとつにまとめる番組ではなくなりましたが、「多様な日本」を映し出す鏡のような存在になっています。
年の瀬とは、過ぎし日々を振り返り、清算するための時間でもあります。帳簿を閉じ、挨拶を交わし、礼を尽くして「年」を丁寧に仕舞う。やがて除夜の鐘がその慌ただしさを鎮め、新しい年は静謐のうちに始まります。
近年は除夜の鐘が騒音とされることもあり、私も地域の夜回りで拍子木の音を「うるさい」と言われたことがありました。もし、西洋のようにカウントダウンで花火を揚げて新年を迎えるようなイベントが主流になっていくなら、迎える日本の未来は少しずつ変わっていくのかもしれません。(文・正木)

