《ゼニヤのキホン》 2025.10月号より

私の記憶にある昭和の喫茶店は、その名の通り喫煙場所でした。劇画と呼ばれる「大人向け漫画」や将棋が置いてあり、今どきのカフェとは違って大人向けの場所でした。その一角で、子どもから大人まで親しまれた飲み物のひとつが、ミックスジュースです。戦後まもなく大阪で生まれたとされ、バナナやミカン、リンゴなどの果物をミキサーで混ぜ、氷と牛乳を加えたシンプルながら豊かな味わいを持っていました。当時の果物は高級品であり、熟れすぎたバナナを無駄にせず活用するために喫茶店が工夫して提供したのが始まりだそうです。ミルクセーキやクリームソーダとともに、喫茶店の人気メニューとして定着していったのです。石ヶ辻町では現在の「食パン工房むぎ」の場所にあった「喫茶松茂(まつも)」のミックスジュースは人気でした。

ミックスジュースの原風景はといえば、梅田にある百貨店に母に連れられて行った時に地下のジューススタンドで「内緒で」飲ませてもらった思い出があります。一緒に来なかった他の兄弟には内緒という意味なのですが、幼かった私(たぶん小1くらい)は「内緒」と言われて、早く飲まないといけないと思い込んで慌てました。その時に口の中に残った氷のカケラの冷たい感触が記憶に残っています。

時代が進むにつれ、外資系チェーン店やコンビニの普及でこうした町の喫茶店やジューススタンドは減少しました。しかし、昭和の喫茶店で味わった一杯のミックスジュースは、単なる飲み物を超えた体験でした。果物の甘さ、氷の冷たさ、牛乳のまろやかさ、そして店内の(たいていは煙草の臭いを伴う)空気や人のざわめきが混ざり合い、時代の空気や人々の暮らしを映す記憶の一部となっていたのです。

こういった記憶を背景に、ダイヤ製パンさんとの企画会議では、個人的な思い出や初期の錢屋カフヱーでの商品開発の失敗談などを話しました。しばらくして、今回のミックスジュースサンドを試食しました。ミックスジュース味のフルーツサンドという切り口そのものにはちょっとした遊び心があるわけですが、完成したサンドイッチに「遊び」はなくフルーツサンドとして〝ゆるぎなく〞完成されていながら、ミックスジュースを感じさせる確かな余韻が残ります。ミックスジュースに引っ張られることなく、あくまでもフルーツサンドであろうとする意識、崩れない姿勢に脱帽です。こういった商品は開発担当者の遊びのようになってボツになることも多いと思うのですが、アイデアをカタチにする百戦錬磨の凄腕がおられるのでしょう。錢屋カフヱーの若い開発スタッフが学ぶことの多いコラボレーションでした。(文・正木)