《ゼニヤのキホン》 2025.9月号より
ゆっくり沁みる、本物の味わい
落語家の中には声色を変えて演じ分ける方もいますが、桂南光師匠は、ほぼあの地声のままで小さな子どもを演じます。その声を聴きながら、「この子、健気で可愛いなぁ」「幸せになってほしいなぁ」と心が動き始めました。ところが目の前には、地声のまま演じる師匠の顔がある。その顔を見つめつつ、そんな感情を抱いている自分に冷静な頭がツッコミを入れてくる――。周りには涙を流す方もいて、笑ってしまいそうになりながら、心に沁みました。「何や、何やこの感じは…」と不思議な感覚に包まれました。
ふと、初めて千日前のインデアンカレーを食べたときのことを思い出しました。「甘い?いや、辛い?」「けど、うまい!」と、混乱しながら感動したあの感覚。何かを好きになるとき、そこには意外性と戸惑い、そして腑に落ちるまでのプロセスがあるように思います。 実は錢屋寄席を始めた当初、私は落語に深い関心があったわけではありませんでした。上方落語発祥の地が生國魂神社の境内だと知り、この町のあるべき姿に関心があったというのが実際のところです。ところが南光師匠の「子はかすがい」がきっかけで、それ以前と以後で落語の感じ方が、まったく変わりました。
また、文楽で「曾根崎心中」を観たときのこと。歌舞伎でもお馴染みで展開は知っていたはずなのに、ラストシーンで「本当に死んだ」と感じ、驚きました。幕が下りても、お初の顔が網膜に焼き付いて離れません。そのときに、人形が死ぬのは演技ではなく、むしろ血の通わぬ人形に命を吹き込んでいたのは、操っていた人形遣いの技だったということに気が付きました。ぞっとするほどの感動が込み上げました。
現代の情報社会では、物事は「わかりやすさ」「即時性」が第一の価値のようになりつつあります。SNSでは短く刺激的な文章やショート動画で心を掴まなければ、すぐに情報の波に埋もれてしまいます。音楽においても、昔のようにじっくりとイントロを聴かせるのではなく、冒頭からいきなりサビのような盛り上がりをもってくる楽曲が主流になっているようです。
味や香りの世界でも、人工香料は噛む前からその香りが立ち、わかりやすく「美味しそう」と思わせます。インパクト重視は、どの分野にも共通しているようです。
それでも、海外から帰国した人が出汁の味に「帰ってきたなぁ」としみじみ感じるという話はよく耳にします。舌だけでなく心に染み入る味わい。それは、長く慣れ親しむなかで、心の奥深くに刻まれた安心感や懐かしさであり、本物が持つ力だと思います。
すぐに伝わらなくても、何度か体験するうちに、こちらの感性が開かれていくことがあります。錢屋本舗本館では、そんな「すぐには伝わらなくても、確かに心に届くもの」に出会うきっかけを、これからも大切にしていきたいと考えています。(文・正木)

