《ゼニヤのキホン》 2025.7月号より

7月11日(宵宮)と12日(本宮)は、生國魂神社のお祭りです。夏祭りや初詣は、神社を身近に感じることのできる行事ですが、それ以外にも神社を訪れる機会は少なくありません。たとえば、子どもの七五三よく知られていますが、大人にとっては「厄年」が人生の節目としてあります。男性は25歳・42歳・61歳、女性は19歳・33歳・37歳が厄年にあたり、災いに遭いやすいとされてきました。そのため、厄払いを受ける風習が今も残っています。「厄年」と聞くと、どこか不吉な印象がつきまといますが、実はその意味には、もっと前向きな側面があるようです。

私自身、今年がちょうど厄年にあたるため、地元のいくたまさんでご祈祷を受けました。そこで権禰宜から伺ったお話がとても印象深く、心に残りましたので、ここに少し記しておこうと思います。お話によると、厄年とは「見直しの節目」であるとのことでした。確かに、社会的な責任が増え、体の変化があらわれやすい時期でもあります。もちろん人によって違いはありますが、段階的に社会や仕事、家庭での役割が変化し、負担が大きくなることがあります。そうしたタイミングで一度立ち止まり、自分の心や体を整え、生活を見直す。そういう時間を持つことは、非常に意味のあることだと思います。

このように考えると、厄払いは単なる「災い除け」ではなく、「今の自分と向き合い、整える」ための知恵だと言えるでしょう。宗教行事というよりは、日本の生活文化に根ざした人生の知恵とも言えます。この身近さが日本の神道の魅力の一つだと思います。神道と言い、○ ○教とは言いませんが、これも興味深い特徴だと言えます。

厄年は一度きりではなく、人生の中で何度か訪れます。その最終段階にあたるのが、男性でいえば61歳、つまり還暦の年に重なる厄年です。この年齢になると、厄年の意味も変化します。権禰宜は「それまでの厄年が〝備える〞ための節目だったとすれば、61歳の厄年は〝手放す〞ための節目」と話されていました。若いころに身につけた知識や経験、築いてきた役割や立場を、自分の中にとどめておくのではなく、次の世代や社会に受け渡していく時期に入る――そのような考え方に、私は深く納得しました。

七五三が「子どもが社会に仲間入りする儀式」だとすれば、最後の厄年は「大人が社会に奉仕し、還元していくための儀式」と言えるでしょう。得たものを持ち続けるのではなく、感謝とともに手放していく。その姿勢にこそ、日本文化における成熟のかたちが表れているように感じます。

こうして振り返ってみると、厄年は決して恐れるものではなく、自分の人生を整え、やがて社会へと還していくための通過儀礼なのだと思います。七五三と厄年、その両端が人生を美しくつないでいることに、日本人の生き方の知恵が見えてきます。

日本は八百万の神の国ですから、氏地ごとに氏神様がいらっしゃいます。日本人は、人生の節目を神様とともに歩んできました。有名な神社やパワースポット巡りも楽しいものですが、やはり忘れてはならないのは、私たちのすぐ近くにいらっしゃる、身近な神様の存在です。7月11日の神輿巡行では、神様が輿に乗って氏地を巡られます。親しみと感謝の気持ちを込めてお迎えし祈りたいと思います。(文・正木)