《ゼニヤのキホン》 2026.9月号より

#いちばんの収穫

趣味で自然農による米づくりをしています。6月末に田植えを終えました。

もちろん、自然農が唯一の正解だと言いたいわけではありません。私たちの食を支えてくださっているプロの農家には、安定した収穫量と品質を守るという大切な使命があります。私の米づくりは、あくまでも趣味です。だから私が求めているのは、収穫量よりも学びの量です。

自然農では雑草も虫も敵とは考えません。雑草が育たない環境では、稲も育たないという考え方です。むしろ一緒に育てながらも、「稲を強く、雑草は弱く」を意識して手を加えます。虫は弱い葉を食べるそうです。目指すのは、虫を退治するのではなく、虫に負けない稲を育てることです。

稲が育てば周囲の草を刈ることはありますが、根絶やしにはしません。自然の中で、それぞれが役割を持ちながら共に育っていきます。

そんな自然農を実践する中で、印象に残った話があります。肥料を与えると、稲は地表近くの養分で足りるため、深く根を張らなくなるそうです。一方、自然農の稲は、水や養分を求めて土の奥深くまで根を伸ばします。そのため、台風のような強い風にも耐えやすいのだと聞きました。その話を聞いたとき、不思議と人のことを思いました。自ら水や養分を探して根を伸ばす稲を見ていると、人もまた、経験を重ねながら自分の根を育てているのではないかと思えてきました。

去年の暮、小学校で注連縄づくりを教える機会がありました。材料の稲わらを見た子どもの一人が、驚いたように声を上げました。

「えーっ、ここにお米ができるの?」

その一言に、私ははっとしました。その子は、お米を知らないわけではありません。米飯給食もあり、毎日のように食べています。それでも、その子の中で、お米と稲はまだ一つにつながっていませんでした。

一方、自然農の田んぼへ連れてこられた子どもたちは、親が農作業をしている間は、放っておいても勝手に遊び始めます。虫を追いかけ、水に触れ、泥だらけになりながら、夢中で自然と向き合っています。雨でも傘など差しません。子どもたちは、平らなところが一つもない自然の中で遊びながら、多くのことを受け取っているようでした。

考えてみれば、お米だけではありません。野菜が畑で育つ姿を見たことがなく、海や川を泳ぐ魚と食卓の魚が結び付いていない子どもも少なくないでしょう。食卓に並ぶ前の姿に触れる機会は、いつの間にか少なくなりました。便利になった一方で、食べ物が命であることを実感する場面も減っているように思います。

体験は、頭の中に点在していた知識を結び付け、「わかった」という実感へ変えてくれるものです。便利になった今だからこそ、実際に見て、触れて、感じる機会は、以前にも増して貴重になっています。泥の感触や稲の匂い、風に揺れる田んぼの景色は、本や画面だけでは伝わりません。

思い通りにならない自然を相手にしていると、おのずと謙虚になります。その謙虚さが、新しい学びを育てる土になるのかもしれません。収穫量が少ないほど、学びは多い。土の中へ静かに根を伸ばす稲のように、その学びは今も私の中で育ち続けています。(文・正木)