《ゼニヤのキホン》 2026.6月号より
国際都市、古代大阪と芸能の源流 ―四天王寺「聖霊会」にみる日本―
毎年四月二十二日、大阪の四天王寺の境内は、日常とは切り離された清冽な空気に包まれます。聖徳太子の命日に営まれる「聖霊会」は、その遺徳を偲ぶ法要であると同時に、千四百年にわたり守り継がれた歴史の層を今に伝える行事です。重要無形民俗文化財にも指定され、日本の伝統芸能、とりわけ雅楽の「根本」ともいえる姿を今日に伝えています。
四天王寺は推古元年(五九三)、若き聖徳太子によって建立された日本最古の官寺です。太子は仏教とともに大陸文化を積極的に受け入れ、その中核にあった雅楽もこの地に根付かせました。その実務と文化の両面を支えたのが、渡来系氏族の秦河勝です。河勝は大陸から伝わった芸能を日本の風土に合わせて洗練させ、その系譜は後に世阿弥によって「猿楽の祖」と位置づけられ、能や狂言へと展開していきます。秦氏の拠点であった京都・太秦は、後に映画の街として発展しました。こうした流れを見れば、四天王寺の石舞台から現代の映像文化に至るまで、日本の芸能はゆるやかに連なっていると捉えることもできるでしょう。
聖霊会で奏される雅楽には「左方」と「右方」という二つの系統があります。左方は中国大陸(唐)やインドに由来する「唐楽」、右方は朝鮮半島(高麗・百済・新羅)や渤海に由来する「高麗楽」です。左方は赤や橙、右方は緑や青の装束をまとい、それぞれ異なる舞を披露します。出自の異なる芸能が、互いの違いを際立たせながら一つの場で調和する姿は、まさに国際都市としての古代大阪のありようを映し出しているかのようです。異質なものが共存し、高め合うことで生まれる豊かな世界観は、現代における多様性を考える上でも示唆に富んでいます。
また、雅楽の伝統は、私たちの日常の言葉にも息づいています。「打ち合わせ」は太鼓で拍子を合わせる所作に由来し、「コツを掴む」は楽器・笙の音階「乞」にちなむとも言われます。この音は特に扱いが難しく、正しく鳴らせることが一人前への関門であったことから、肝要な部分を会得する意味で用いられるようになりました。
聖霊会の舞台となる石舞台の周囲では、夜になると篝火が灯されます。揺らぐ光の中に浮かび上がる絢爛な装束と、静かに舞う舞人の姿は、時代を遡るかのような感覚を呼び起こします。
大陸の風を受け、日本の土壌で育まれてきたこの芸術が、今も変わらず息づいていること。それは、戦火や災害を越え、祈りとともに伝統を守り続けてきた「天王寺楽所」の人々の営みの積み重ねにほかなりません。四天王寺の聖霊会は、古儀の再現だけにとどまらず、古代の国際感覚を今に伝える「生きた伝統」です。その響きが、これからも絶えることなく、静かに、しかし確かに次代へと受け継がれていくことでしょう。(文・正木)

