《ゼニヤのキホン》 2024.11月号より

成長を祝い成果を分かち合う文化

文化祭の季節です。類型は海外にもありますが、運営の自主性や出し物の多様さにおいては日本独特の文化のようです。文化的なことも祭りも好きな私としては、そもそも「文化+祭」というネーミングが素敵で、誰がどんな目的で考案したのか調べてみたのですが、残念ながら言葉としての起源は不明でした。戦後教育の中で生まれ、学校行事として広まったようですから役人が考えて制度化したのかも知れません。時々、名もなき名作に出会いますが、文化祭もその一つだと思います。

教育成果を披露する機会としてならば、原型は江戸時代の寺子屋や手習塾に「席書き」と呼ばれる習字の発表会があり、これには晴れ着を着て参加したようです。大正10年10月には「創作展覧会」が東京府立第五中学校(現都立小石川中等教育学校)で開催され、全国初ということもあって3千人が訪れたそうです。

昭和40年代の五条幼稚園では「生活発表会」と呼ばれるイベントがあり、さくら組は『ブレーメンの音楽隊』の影絵をやりました。私は泥棒一味の下っ端でセリフがありませんでしたが、影絵でセリフ無しでは誰がやっても同じだろうと不満で、本番ではアドリブをブチかましてやりました。私が常々、子供をコドモ扱いしてはいけないと考えるのはこういった思い出があるからです。

パリ五輪の開会式にフランスの芸術性の高さを感じながらも、文化的主張に芸術の圧倒的な力が利用された感じが否めず、オープンな空間を使っての劇場(閉鎖)的な演出に強烈なエゴを感じました。総じてフランスらしいとも思え、そういう意味では見事だとも言えますが、船から部分的に観ていた各国の選手は自分たちが主役だと感じたのでしょうか?評価は分かれるところでしょうが、万国博覧会ならともかくマチュアスポーツの祭典であるオリンピックで、そもそもの意味を見直すべきだと、私は感じました。

話があちらこちらに散ってしまいましたので文化祭に戻すと、そこに成長を祝う気持ちがあるから祭りとなるのでしょう。農作物の生育を祝う秋祭りや収穫祭には実りを分かち合う喜びも含まれる気がします。それが祭りの気分には相応しいと思います。前置きのつもりでの話が長くなりましたが、錢屋塾では「大人の文化祭」と銘打ったイベントを10月26・27日に開催します。大人同士が互いの成長を祝い、成果を分かち合う楽しいお祭りになれば良いと思います。(文・正木)