チベット

《ゼニヤのキホン》 2023.12月号より

徳の積み方

錢屋シネマで「タシちゃんと僧侶」を上映したときのことです。この映画は、ダライ・ラマ法王の元で修業を積んだチベット人の僧侶で自らの子供時代に父親の記憶がないプントソック氏が僧院を出てヒマラヤの山麓で愛と思いやりを学ぶ孤児院を開き、人の子の「父」となっていく様子を描くドキュメンタリーです。貧しさから親に捨てられた孤児と暮らしを共にし、皆に自愛の心を教えます。そこにやってきた「聞かん坊」の5歳のタシちゃんを中心に話が進みますが、口減らしの為に子供を引き取って欲しいと、どんどん子供が増え、救ってあげたくても現場も困窮しそれができない現実での苦悩が所々に垣間見えます。

上映後に何人かの方が感想を述べられましたが「(プントック氏のやっていることは)素晴らしいことだと思うが、私は無力で何もできない」「徳を積むのは簡単なことではないと思った」と仰った方がいらっしゃいました。この映画の告知をみて何かを感じられ足を運ばれるだけでも素晴らしい行動だと思いましたが、なんとなく沈んでおられるその方にその場では何の言葉もかけることができませんでした。

善い行いは善行(ぜんぎょう)と言いますが、多くの人は良心に基づいてなるべく善い行いをしようとします。私はチベット人の僧侶から「日本人は『人のために祈りましょう』と言えば、誰も疑問を持たずにそれができる。私は世界の様々な地域で仏法を説くことがあるが、世界にはその意味を説明しないとできない人もいる」と言われたことがあります。

聖徳太子以降、私たちの心に大乗仏教の教えが浸透しているのかも知れません。仏教では善業(ぜんごう)という言葉もあります。「善業を積む」と来世でも人に生まれるとされます。また、「随喜」という言葉もあり、善い行いをされた方を「あぁ、良かった。あの人は素晴らしいことをなさった!」と心から喜び、賞賛することで、その方が積んだ善業と同じ功徳があるとされています。その反対は「嫉妬」で、これは煩悩で悪業とされています。徳と善は哲学ならば区別されるかもしれませんが、それはともかく「徳を積む」のは簡単ではないと仰った方にお伝えしたかったです。

それでも、やはり行動を

とは言うものの、7年前にダライ・ラマ法王が清風学園で講演をされた際に、学生の質問にお答えになり「平和の為に祈ることも大切だが、それならば私たち僧侶は毎日のように祈り続けている。もっと大切なことは、それに向けて具体的に行動することだ」と仰いました。キッカケがあって心がそちらを向いたならば、やはり身体を向けることも必要なのです。私たちは身体を伴った心なのだと考えました。(文・正木)