田舎

《ゼニヤのキホン》 2024.1-2月合併号より

田舎は日本の原風景

多拠点化を考えています。
コロナ禍は都市に人を集中させたことに対する見直しを迫りました。
世の中は、まるで何もなかったかのように元に戻るのかも知れませんが、コロナが始まった時に「コロナが永遠に続いたとしても変わらず続けていけるように変わる」と宣言して会社の方針を決めましたので、むしろこれから多拠点化を目指します。コロナ以前からでも災害対策上も首都機能の分散の必要性が叫ばれながらも東京一極体制は変わりません。かつてのように東京に憧れをもたせて、地方から若者を上京させる時代ではないと思うのですが、この流れは変えようがないほどになってしまっています。首都とそれ以外の地方都市に分けられ、その中に大阪も組み込まれているとしたら残念なことです。微力ながらも、同じ気持ちを持った方々と一緒に気概をもって上方の復権に取り組みたいと思います。話を広げ過ぎずに、自社の話に戻します。上本町の錢屋本舗本館を都市部の拠点とするならば、田舎の拠点を何ヶ所かつくっていきたいと思います。


田舎とは日本の原風景という意味でもあり、それを考え直しながらつくるというイメージです。錢屋カフヱーを昭和の喫茶店をオマージュしてつくったのと同じと言えば、ZENIYA&LIFEの古くからの読者にはご理解いただけるかも知れません。
話が進めば改めてご紹介することになるでしょうが、ある村の村長が「この村は昭和の生活のままなんです」と話されました。
私はその言葉にトキメイタのですが「コンビニもなくて、子供たちは不便だと言っている」と続き、ネガティブな意味での発言でした。
昭和の時代には良いものもたくさんあったと思います。
モノもヒトも(⁈)大量生産の時代で、その勢いは玉石混淆の濁流のように大きなエネルギーで、公害や後に悪とされるようなモノまでをも生み出しました。
一方で義理や人情があって(オセッカイもありましたが)、ヒトの価値があったように感じます。
コンビニはなく時間指定ができる宅配便もありませんでしたが、それを不便とも思わず隣近所で荷物を預かり合って、その代わり届いたミカンをお裾分けしたりしていました。
CO²の排出量は抑えられ、気持ちの通い合いがありました。


昭和の時代の良さを体感しその実感を持っている最後の世代が、都市部で、今後の10年程の間に退職を迎えます。
良くも悪くも仕組みの中で生き、様々なモノを作り出してきた退職企業戦士が、昭和のまま変わらない生活だという村に移住し、その知見を発揮して村での魅力的な生活を実践しながら発信していけば、過疎の村にも活力が戻るのではないかと思います。これは同時に都市での営みを若者に任せるという事でもあります。
政治も経済も老婆心で介入せず、清濁併せ持つエネルギーに任せ、ダイナミックに作り替える必要があると思います。これは隠居ではなく、人生百年時代を迎え活躍の場を移すということです。
オジサン、オバサンが輝く社会は、若者にとって未来が輝く社会なはずです。
(文・正木)