《ゼニヤのキホン》 2023.10月号より

ないならばつくれば良いはず…

巻末の「ゼニヤの内」では少し抽象的になることもありますが価値観に関する発信をしています。
普段からナニヤラモヤモヤと違和感を感じていたり、疑問に思うことに対しての提言のようなつもりで書いています。
そこで以前に大学生と話していて、入学したばかりの彼らが、もう就職の心配をしている事について触れたことがあります。
「どんな会社なら有利か」が気になったり、そもそも「やりたい仕事が見つからない」と悩んでしまうこともあるようです。


職業とは、今までの社会にとって必要だった役割に名前がついたものに過ぎません。
これからの社会を担う君達(若者)が、どうして既にある職業に自分を当てはめ、その中から選ばなければいけないと考えるのか?しかも、その中で有利か不利かを考えて…その(有利さの)有効期限は何年くらい続くと思っているのか?等、いくつかの疑問を投げかけながら話し、未来の世の中にとって必要な職業は君達が創り出せばいいじゃないかと(もちろんソフトに、でもしっかりと)伝えました。


これを「近頃の若いモンは…」と言うつもりはありません。
差別的な表現から時代に合わなくなって発禁となった古典的な絵本の名作を、時代に沿うようにリライトして復刻する事業で起業を目指す学生や、過疎の村で「芸術家」として村の魅力を発信する若者、太陽光パネルの設置予定地を買い取って自分達で森の一部を整備して子供達が自然に触れることができる環境を造ろうとしている若いカップルとも出会いました。
一方で、会社で決められたのであろうSDGsのバッジを付けている人なんぞは「そうすると有利」だと考えているだけなのではないかと訝ってしまう言動の方々もいます。
胸につけたものは、どうせいつか失くすのだから心につければイイのに、と思っています。


これらの違いに年齢は関係なく価値観の違いなのだと思います。
その価値観は環境や教育の影響が大きいのではないかと想像します。
「若者は柔軟」とは限りませんし「若者は頼りない」とも限りません。
逆もまた然りですが、ともかく思い込みに捕らわれず、自分が感じた違和感のようなものを、その根拠を追求すると世の中の見え方が変わるばかりでなく、自分の正体のようなものが見え、世の中での収まりどころがわかってくる気がします。

ないならばつくる、と言えば…

マーケティングの成果として売れそうなモノが並び、そこから選ぶことに慣れた人々は、要るモノは買えても欲しいモノが手に入るとは限りません。
そもそも欲しいモノが思いつかない場合もあるでしょう。
やりたい仕事が見つからないのと本質は同じです。
欲しいモノは(思い浮かぶが)見つからないから、つくってみたいと思われる方は錢屋本舗本館のWEBサイトから「共創型モノづくりこの指とまれ」にご参加ください。(文・正木)