厨子

《錢屋の110年》 2021.8月号より

終戦の日に思うこと

8月15日は「戦没者を追悼し平和を祈念する日」です。私の記憶では昭和の頃は「終戦記念日」と言っていました。調べてみたら「記念日」には喜びごとを連想するところがあり、敗戦国としての日本にとっては決して喜ばしいことではなかったという考えから避けるべきという意向もあって「終戦の日」とも呼ばれるようになり、さらに1982年の閣議決定で日本政府はこの日を「戦没者を追悼し平和を祈念する日」と定めたようです。

人間同士が立場の違いから敵味方に分かれて善悪を断ずることを良しとせず、客観的な事実としてこの日を捉え、示すべき姿勢を表明しようという事なのだろうと、この呼称の変遷を理解しました。コロナの脅威と向き合いながら世界が一つになろうとする昨今ならばなおのことです。

戦争を語り継ぐこと

この長い呼称はカレンダーに記載される事もなく、終戦の日はいつの間にか忘れ去られるのではないかと危惧します。正直なところ私は子供の頃(高校生くらいでも)には長崎・広島の原爆、沖縄のひめゆりの塔、知覧の特攻隊の語り部の話しが痛ましくて聞くのが辛く「なんでこんな話をわざわざするのだろう」と思った事もありました。

反戦が目的と頭で理解しても、未成熟な心はそれについていけなかったのだと思います。今の心には日本のみならず地球全体の平和へという想いがあります。

錢屋従業員物故者

錢屋本舗本館の北側には昭和の頃は生家があり、現在の西館あたりには庭があって観音様の御堂がありました。中学生の頃には、誰に言われるでもなく掃除をするようになりました。現在、御堂はありませんが、観音様は社長室でお祀りしています。その厨子の傍らにずっとあったのが「錢屋従業員物故者霊位」の位牌です。錢屋本舗に在籍のまま招集された従業員のものです。創業者は律儀な性格ですから生還を祈りながら送り出しもきちんとしたのだと想像します。かつての号で創業記念日には正装して記念写真を撮っていたことに触れましたが、戦時中に迎えた創業35周年の写真には軍服を着た従業員が写っています。が、若い者はそこにはおりません。

この位牌に誓うこと

若い従業員が戻らなかった状態で創業者(終戦時61歳)と残った老齢の従業員、女性だけでの戦中から戦後の復興にかけての苦労を思うと胸が詰まります。

平成の時代にもバブルの崩壊、リーマンショック、このコロナ禍と困難は続きますが、従業員は一人として減りません。そのことだけでも、あの頃よりは余程いいと、自分に言い聞かせています。朝夕にこの位牌に向かい、従業員物故者が錢屋本舗を通じて叶えたかった夢や到達したかった目標は何だったかと問いかけながら考え「良かったら一緒に、今からでもやっていきませんか」と手を合わせています。

会社は自分の増幅装置だと社員には言っています。自分の魅力や才能、能力を会社を通じて社会に発揮してもらいたいからです。