《錢屋の110年》 2021.3月号より
大阪の人はケチなのか?
いつからか、なぜなのかはよくわからないのですが「オオサカの人はケチだ」と思われたり、言われたりするようになりました。東京で制作され全国に放送されるテレビの影響も大きいと思います。
井原西鶴は日本最古の経済小説とも言われる浮世草子「日本永代蔵」や「世間胸算用」で商人の心得として「才覚」「算用」と共に「始末」の文化について描きました。ちなみに西鶴は、それより前に俳諧師としてデビューし生國魂神社の境内で「生玉万句」という俳諧の興行をして名を挙げた人物で、墓所は上本町西4丁目にあります。
「始末」とは?
今でも日常生活で使っておられる方もいらっしゃると思いますが「あんじょう始末しなさいや」と言えば「うまい具合に倹約しなさいよ」という意味です。これは「お金の使い方を見極めなさい」と言うことでもあり「使うべきものには惜しまず投資をしなさい」という解釈にもなります。「始末」には、お金の始まり(稼ぐこと)から終わり(使うこと)までの一貫した計画性の大切さを教える意図があるようです。この考えが大坂を商都として発展させ、馥郁たる上方文化を醸成したであろうことは前号で述べさせて頂きました。
金持ちは立派?成功者?
元々は金持ちだから立派だとか成功者だとみる価値観ではなかったと思います。昨今のテレビが「セレブ」と言って紹介するような、所有している車や身に付けた貴金属の値段を言って見せびらかすような人は「成金さん」と言っていたように思います。働いてお金を稼ぐことは素晴らしいことですが、それを何に使ったかで、その人の価値が決まるのだと思います。
「才覚」「算用」について
「才覚」は日本永代蔵には、狡いと思われることも書かれているので読み取りにくいですが「人がやらないことをやる(独自性)」と「商機を見極める」ことを指しているようです。真似をして儲けるということではないのが興味深いところです。
計算することを「電卓を叩く」と言いますが、電卓以前は「算盤を弾く」と言いました。「電卓を…」は計算をするという意味そのものでしょうが「算盤を弾く」には「損して得とる」というような意味合いがあるようです。これが「算用」ではないでしょうか。頭の使い方が違うのだと思います。「算盤を枕にする」は寝食を忘れ商売に打ち込むことです。
コロナ禍にあって
コロナ禍にあって社会は建前より本音、表層より本質といった価値観の見直しに迫られたように思います。
才覚は必要を見極めることであり決断を求めます。緊急対策融資や協力金など政府や自治体からのお金の使い道をどうするべきか?始末の考え方と算用が役立つのではないでしょうか。