《錢屋の110年》 2021.2月号より
大切に育てられ、女性が家業継承する商人の合理精神
今はスマホでも簡単に撮れますが、創業者の時代の写真は特別なものでした。
創業記念日とお正月の写真が多く、正装で整列が基本だったようです。
羽子板を持った少女がお正月らしいと思い前号に載せましたが、この写真から女系相続の話を書かせて頂きます。
ご存知の方もいらっしゃるでしょうが、大坂の商家では女性が婿養子を迎えて相続する習いがありました。
天下泰平の江戸の武家ならばともかく、商家は長男に才覚がなければ潰れてしまいます。
婿ならばじっくりと選べるわけですから、優秀な番頭などを迎えて継がせたようです。
家業の存続を重視した合理的な考えで、料亭や旅館の女将もそうであるように現代にも通ずる、女性が活躍する土壌があったのではないでしょうか。
日本の男社会の認識が広まったのは江戸の武家文化が明治の役人に引き継がれたせいかも知れません。
関東や九州にその傾向が強いらしいですが、大坂では女性が前述のように大切に育てられました。
長女は愛おしい、いといけないから「いとはん」で、末娘は小さいいとはんで「こいさん」と呼ばれました。
その間の娘は中だから「なかんちゃん」です。
ご存知でしたか?マスオさんの実家は大阪です
おなじみのサザエさんは福岡出身という設定です。作者の長谷川町子さんがそうだからでしょう。
後に東京に引っ越し、大阪出身のマスオさんと結婚し婿養子に迎えます。
今や「マスオさん」は婿養子の代名詞となりました。
もはや死語でしょうが職業婦人であった作者が旧態依然たる男社会や嫁入りという感覚とは違う、当時(昭和21年から連載)から見た未来の家庭像を東京の典型的な町を舞台に描き、時代の支持を得られたのではないかと思います。
話を戻して…ではぼんぼんの役目は?男子は「ぼん」と呼ばれ才覚があれば別に店を持たせ、そうでないならば十分な金子を与えて、その代わり店のことには口出しをさせないというようなこともあったようです。
大阪の人はケチだという人がいますが、それは誤解です。
奥深い上方文化の伝統は、そんな料簡では育たなかったでしょう。
才覚があればお金を稼ぐ側、そうでなければお金を使う側に回って文化を育てるというのも分相応だったということでしょう。
単なる消費文化とは違う、この合理精神と寛容さに、経済的にも文化的にも発展してきた都市のダイナミズムを感じます。
ケチではないと書くと「始末」の文化に触れないわけにはいかないのですが、誌面の関係で次号以降に譲ります。