《錢屋の110年》 2021.6月号より

要不要を見極めること

前回、テレビ番組で開かずの金庫として紹介された錢屋カフヱーに置いてある古い金庫を、開けてみたら空だったというお話をさせて頂きました。番組の盛り上がりには欠けたかも知れませんが、先祖が必要なものを移し替え、不要なものは処分したのだと思え、その人となりを感じられたことが嬉しかったです。
私は35歳で錢屋本舗に入社しました。経営など勉強したこともありませんが世襲が前提の後継者候補(いま思えば銀行借り入れを引き継ぐ必要もあったのでしょう…)でした。入社初日のことを覚えていますが不思議と何の不安もなく、そうすべきと確信して大掃除を提案したのですが、幼い時分から知っている年配の社員ばかりでしたからすんなりと従ってくれて、彼らにとっては見慣れて当たり前になっているものでも、新しく入った私だからこそ気付ける不要なものをずいぶん捨てました。

改めて、何を残して何を捨てるか

5年前に錢屋本舗本館の改修をした際にも「何を残して何を捨てるか」を吟味しました。残そうと思ったものとその理由から、「ちょっとたことをちゃんとやる」「最高の普通を」「大切にしてきたから良い、もの」といったその後(つまり現在)の錢屋本舗本館から発信する基本的な価値観や姿勢を表す言葉を考えました。

捨てるべきは モノだけではない

過去の誰かがその時々のその人達の都合でつくった枠組みに無批判に縛られる必要はないでしょう。教育の名目で分類し細分化しながら専門化していった枠組みを、本来は境目などない社会に出てからも「自分は理系(文系)だから」等と言ってはばからない感覚ももう不要でしょう。常識として思い込まされた思い込みの全ても疑ってみたら良いと思います。美味しい店を多数決で決めるような感覚も疑問があります。経済格差の是正が叫ばれますが、精神的な豊かさの格差にも目を向けるべきでしょう。

都会から地方へ 宇宙より地球を

都会に憧れをもたせてヒトやカネを集め、高層化や深層化を進めた大都会に投じた技術や資金を、あの時代に情報インフラとその安全性の確保に投じ、ペーパーレス化やキャッシュレス化を進めていれば、今頃は日本は最先端の国であったでしょう。地方の価値が見直される時代に、ワレ先に宇宙へ行こうとする人よりも、地球のことを真剣に考え取り組む普通の人々に光を当てるべきだと思います。