詩のように生きる
「花はなぜ美しいか」の問いに詩人の八木重吉は「ひとすじの気持ちで咲いているからだ」と書いています。教科書的には「昆虫による受粉を促し種を保存するため」だそうですが、正しくてもつまらないと感じます。「百花春至って誰が為にか開く」という禅語がありますが、花はただ咲いているだけであり、無心に生きることが結果として自分だけでなく他をも活かすことになるという教えです。私は、むしろ人の心がそう感じるように発達したのだと考えました。実や葉や根は実際に食べることで身体を成長させますが、花は心に作用し成熟させるのだと思います。美しいと思っていない人もいるのではと疑い、その心は未熟なのだと仮説しました。恥ずかしながら、それは自分の事です。景色として美しいと感じることはあっても、一つ一つの花を、たぶん私は人がそう言うほどには美しいとは感じていないように思います。未熟なまま枯れたくはありません。人生は物語のようですが、せめてその後半は詩のように生きたいと願います。

