本質は教えられる?

 縁があってインドのチベット仏教寺院を訪れた時のことです。若い僧侶たちが世話をしてくれたのですが、その心配りに驚かされました。朝まだ暗いうちに起きると、間もなく「お湯はいりますか?」と声をかけてくれました。部屋の電灯がついたのを見ていたとしか思えません。私の不注意でカーテンを壊してしまった時には、恐縮する私を「これは木が腐っていたように見えます」と言って気づかってくれました。彼らはホテルマンではありませんから、サービスをマニュアルで学んだわけではありません。では、なぜこんな振る舞いができるのでしょう。ある夜、外灯の下でお経を読む十歳ほどの小僧さんに尋ねました。「なぜそんなに勉強するの?」「仏になるため」「仏になってどうするの?」「人を救う」難民である彼らを支援するつもりでインドに来た私は、恥ずかしくなりました。本質が腑に落ちていれば、そのために何をすべきかは、自ら考え、行動できるのでしょう。では、本質は教えられるのか?誰かの生き方や振る舞いという本物に触れ、自分で気づくしかないのかもしれません。(文・正木)