錢屋本舗本館

地域と錢屋本舗本館

錢屋本舗本館、上本町、上町台地、そして大阪

錢屋本舗本館は大阪の上本町にあります。上町台地といわれる少し標高の高い地域です。
冗談半分、本気半分で、私は「上本町は大阪の中心だ」と言っています。

古代の大阪は大部分が、今の上町台地以外は海の底でした。
西に大阪湾、東は河内と呼ばれる地域(現在の東大阪)で文字通りの内海、そこに張り出した半島状の地形でした。半島の先端が今の大阪城、根元は住吉大社辺りだと考えると、古代の大阪のほぼ中心が上本町にあたります。国土地理院のHPで閲覧できる最新のデジタル地図に標高を色で表した地図がありますが、それで見るとその様子が想像できます。

また、歴史的にも生國魂神社の社伝によると神倭伊波礼毘古命(かんやまといわれびこのみこと、後の神武天皇)が東征の際に難波津(諸説あるが高麗橋付近と言われている)から上陸し今の大阪城がある場所に、日本列島の神霊とされる生島神(いくしまのかみ)・足島神(たるしまのかみ)を祭神として祀った後に、いったん南下しながら最終的には今の橿原神宮で神武天皇として即位されたのが日本の始まりとされています。生國魂神社の権禰宜が「日本の神話の終わりで歴史の始まり」と言っていましたが、なかなかうまいこと言うなと思います。古代の上町台地とはそういう場所です。

生國魂神社は大阪城築城の際に豊臣秀吉によって今の場所に遷座されました。上本町(6丁目)辺りは参道でもあり桃の名所でもあったようです。地名としては残念ながら残っていませんが、地元では上本町(6丁目)周辺の6町会を合わせた地域を桃丘地区と呼んでいます。この話がしたくて錢屋本舗本館のエントランスには左右に桃の木を植えました。

文化、芸能の面では上本町界隈は上方落語の発祥の地でもあり、浄瑠璃の井原西鶴や近松門左衛門の墓所があったり、歌舞伎などの舞台としても高津神社などもよく登場します。近代の文学では織田作之助の作品にもよく登場します。谷崎潤一郎の「細雪」は船場の商家が舞台ですが、その牧野家の本家は上本町です。ちなみに次男が分家として芦屋に居を構えます。上本町はそういう街でした。

下町感覚と文化的な上質さを合わせ持つ街

昭和に入って近鉄の前身である大阪電気軌道のターミナル駅として栄え、戦後は闇市等も立った場所に商店群が生まれ雑然としながらも賑わいのある街であったようですが、昭和45年に奈良線が難波まで延長された後は通過駅となりました。ご多分に漏れずバブル期を経て商店街が廃れてマンションになるなど、しばらくは寂しくもなりましたが街が変わるきっかけにもなりました。元々、古代からの陸地です。岩盤も強く高層マンションが建っては売れるようになりました。それらのマンションのパンフレットには「文教地区」と謳われています。有名私立学校も多く、公立の学区も良いと評判らしく、子育てに適した地域として人気があるようです。ただ、地元に住むものとしてはそれだけで物足りないと感じました。
私もそうですが何代にも渡りこの地に住む方々も多く、生國魂神社の祭りや地域の地蔵盆などの伝統行事も大切に守る下町的な良さがあります。

この下町感覚と文化的な上質さを合わせ持つ街であって欲しいと思います。

地域のコミュニティーを目指して

この地域に文化の薫りを求めて、それに魅力を感じて移り住んでこられる方々がいらっしゃるならば、この場所から文化発信していこうと思いました。そこで古いビルを錢屋本舗本館として改修すると同時に、隣接地に新築した錢屋本舗南館には200席規模ではありますが錢屋ホールを設けました。ここでは定期的に寄席などを開催しています。

また、気軽にお立ち寄り頂けるように設けた錢屋カフヱーでは自家焙煎珈琲をハンドドリップで提供し、併設する錢屋ギャラリーでは様々な催しが行われます。50年代の大型スピーカーと真空管アンプでアナログレコードもお楽しみいただけます。ジャズやクラッシックのミニコンサートなど音楽系のイベントも定期的に開催しています。本館4階の錢屋サロンでは、さまざまな料理講座、俳句などの文化講座、手芸やヨガ、ピラティスなど多彩な講座を開催する錢屋塾を運営しています。より深く知ることで楽しみ方の質が変わりますし、そこで出会った人同士は志向も合う。そういう出会いの場でありたいと思います。

上町台地、特に上本町や桃丘地区の歴史や文化を学んでいただく錢屋塾おおさか講座を開催します。街を知り誇りと愛着を持っていただくきっかけになればと思います。

これらの活動を通じて錢屋本舗本館は地域のコミュ二ティーを目指します。
将来は、これらのコミュニティーにレジデンス機能を加え高齢者シェアハウスをつくりたいと思います。子供が地域に誇りをもって育ち、高齢者が寂しくない街であってほしいと思います。